カップさんの日常

気のおもむくままに書いてみたいと思います

カップさんの診断までの経緯(3)

前回までのあらすじ

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 発達相談支援センターに通い、日常の困りごとなどを聞かれるとともに、発達の検査ができ、医師に診立てをしてもらうことができることを教えてもらえました。その過程においてもやはり養育者からの聞き取りがあることから、決断までに時間がかかりました。数か月くらい悩んだ結果、再び母に話をしました。そうしたところ、やはり「あなたが検査したいのならば、したらいいと思う」との返答で、なんとなくモヤモヤしながらも検査を受ける決意を固めました。また、同時期に友人から知能検査を受けたことがあり、自分の苦手が分かって、自分のことが分かるきっかけになるということを言われたことに背中を押され、決意できたように思います。大学3年生になり、雲行きがだんだんと怪しくなっていました。(すでに大分怪しくなっていましたが…)より体調を非常に壊しやすくなったのです。そのような中で何か月か経ち、ようやく発達検査を受けることとなった。

 

 発達検査は総合的に楽しかったように思います。終わった後、今日は疲れたよね?と言われましたが、よく分からず、でも翌日に充電切れのように疲れ果てたのをよく覚えています笑その後、医者とも面談をし、診立てとしてASDADHDの傾向があると言われました。心境としてはホッとしたといったところが正直な感想でした。その同時期、生活がかなりぐらついていたように思います。自分でどうにかしようにもどうにもできず、レポートを書くと心臓が痛くなる始末だったので、思い切って病院に行くことを決意しました。病院に行き、知能検査の結果を渡すと、いくつかの心理テストを渡され、答えてくるように言われました。2回目くらいの診察で薬を試してみるかどうか聞かれ、是非試してみたいと答えたので、少量から開始することになりました。4回目くらいの診察で診断について聞いたところ、ASDADHDの傾向がみられるとの結果でした。ここまで、自分自身が発達障害ではないかと疑ってからもそうですが、診断を受けると決断してからもかなり長かったように思います。

 診断を受けたあと、ちょうど大学のカウンセリングで合理的配慮を受けることについて話していたので、その手続きを進め、以下の配慮を受けました。

 

・障害の事ことを知ってもらうこと

・レポートの期限延長

・耳栓の使用許可

・履修を組む手伝い

 

 これらを配慮してもらってから、かなり精神的に楽になったなと思います。レポートの期限延長は今のところ1,2回ほどしかしたことがありませんが、いざとなったら期限を延長してもらうカードを切れると思ったら、それだけで落ち着いて課題に取り組めるようになったなと思います。

 

 今はこうした配慮や学校、発達相談センターでの相談、処方される薬、自分自身の工夫等でなんとか”普通”に生活ができているかなと思います。細かな通院や薬、各所での相談等についてはまた触れる機会があれば、書いていきたいなと思います。

 長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございます。

 カップさんの診断までの経緯はここまで!

 

それではそれでは~